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いじわるばあさん~


いじわるばあさん を観てました。

・・この記事なんかちょっと重い記事です、落ち込むような内容です。スミマセン



ラストシーンで意地悪ばあさんがこう叫んだんですよ

「立ったり、座ったり、食べたり、排泄が困難になると(介護で)地獄だっていうけど

 いいんだ、地獄だって。

 家族みんなで地獄でいいんだ。

 それが家族ってもんだ。

 私は絶対に介護施設なんか行かない。

 ずっと家族のそばにいる」  
 

 
ちょっと違うかもしれないけど、こんなカンジのこと言ってたんです



なんか複雑な気持ちでした。

その想いは分かる。

でも

もし 私が ばあさん になって

身体機能が落ち始めて、排泄が自分ひとりでできなくなったら
自分の娘や息子(もちろんまだいない;)や孫には、

世話になることもあるだろうけれど、「介護」に全力投球させたくない。

できるかぎり、家族以外のチカラも借りたい。(お金があれば可能なかぎり)


できるなら、私は介護施設に入りたい。自分の意志で選択し、まだ元気なうちに入りたい。


なぜなら、

私の大切なひとに、自分のようにつらいおもいはさせたくない。

介護を身近にしていて、心底感じている。


「お世話させてくれてありがとうという豊かな気持ちなんです。」とよくテレビのドキュメンタリーで観る

そう考えられるひとも、いると思う。


けれど、私の場合は 暗闇のなか という想いが払拭されない 。

愛していた尊敬していた「家族」も、人格が変わり、

目の前にいるのは生命活動をなんとか続けている「人」


正直、くるいそうになる。


なんで どうして これはなに あなたはだれ なぜ でもかわいそう 

わたしはひどい人間 大事な家族なのになぜ辛いなんて思う 人として失格だ

つらくない 当然なんだ 



そんな言葉が 自分のなかで繰り返しさまよい続ける。


そんな「家族」と毎日向き合って・・ いえ、

介護となると目がはなせないから 向き合わざるを得ない状況になるので

自分自身の心も、ふつうじゃなくなる。こわれていく。

「逃げられない」この言葉が支配するようになる。

「死」が出口に思えてくる。

早く死ねばいい、死んじゃえばいいのに

そんなことを願うようになる ・・・・自分に絶望する。


だから

「介護させてくれて ありがとうという豊かな気持ちでいっぱいです」という感想よりも

「介護に疲れた73歳の女性が、父親を殺して自分も死のうと思った」という報道のほうが

ああ・・って共感できる(しちゃマズイんだけどさ)






だから

私は 私の好きなひとたちには 私の「介護」で追い込みたくない。

「介護を身近にして」こんなふうに感じたんだ ってちゃんと伝えたうえで

できるかぎり、家族以外のチカラも大いに借りたいんだ って伝えたい。



好きなひとたちには わらっててほしい。

いつもそばにいることも幸せだけど

あなたの心の中が曇る原因を作ってしまいかねないなら

いつもそばにいなくても、私は幸せ。



「早く死んでくれればいいのに」

そんなことを考えさせるほどに 追いつめたくない。



世の中にはいろんなことがあるから

でも、一生なんて、ほんのわずかだから

しかも、気力も体力も行動力もある世代は限られているから

私の介護じゃなくて、違うことに「夢中」になっててほしい。


そして

すこしずつ、家族の中から私の存在がうすくなって

そうやって離れてって、

心が離れるためのお別れの準備 をし

そして逝きたい。なんて私は考えている。


でも

「意地悪ばあさん」が言ってた「それが家族ってもんだろ」

も、まったくその通りだと思う。

それが命の営みで、そうやって昔から「家族」が支えあい生きてきた。


結局、堂々巡りで 

これが正しい、これは間違い って くくれない。

ただ、そういうことを通じて 

生きていること、自分が元気なこと、家族、いつかくる死までの時間 に

向きあわさせてもらった。


でも こんなこと、考えるきっかけがなければ

深く考える必要だって ない と思う。いろいろシンドイし落ち込むし(苦笑)

人生で大切なのは、いつだって「いま」で

だから

やりたいことを やれるときに やってしまえ ・・自分。 (おそまつな文でした。)



ありがとん

 

 


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